未知の自分は「軸」を持って「行動した先」で待っている

行動に起こせない方達へ

はじめまして、長澤一智と申します。
私は新卒では紳士服販売、その後アパレル業界、医療福祉業界の人材エージェント(紹介・派遣)として従事してきました。
今では会社員という枠組みから卒業して、より多くの方へ「転職という手段」を通じて豊かな人生を送ることを応援する「GOOD JOBLOG」というサイトを運営しています。

令和になった今もまだ、転職せずに勤め上げることが美徳という昭和の残り香が漂う昨今。

あなたも転職を希望しつつも「けど」「でも」と理由をつけていませんか?

この記事では私の経験をお伝えしつつ「軸をもった行動」が人生において「様々な選択肢を作る」こと、「未知の自分と出会う」手段だということをお伝えできればと思います。

Twitter:https://twitter.com/KazutomoNagasa2

社会のレールに沿った人生しか知らない「恐怖」

幼少から培われてしまった「自信」

少年時代の私は自分で言うのもアレですが、運動神経はとても良く学校の勉強でも常に上位をとっていました。
中学生になってからはギターに目覚め夢中になり、バンドでギターボーカルをしたり、ファッションに目覚めて毎週末に友達と服を買いに出かけたり。
夢中になるととことんのめり込むタイプだったんですね。

そこでできる人間関係も一人っ子の私にとっては刺激的でした。

興味を持って手を出せば人並み以上にはできてしまう器用さみたいなものを持っていました。

こうして大学生になる頃までに特に大きな苦労をすることもなく過ごしてきました。
なんでも「自信」を持って行動する、いわば「怖いもの知らず」になっていたんです。

生まれてから新卒までで作られた「プライド」

長澤一智_記事画像2

就職活動も私の世代は「超氷河期世代」と呼ばれた世代です。
しかし私はそんなに苦労することもなくとんとん拍子に一部上場の大手紳士服販売企業に入社が内定。

入社前の合宿研修(7泊8日!)は軍隊並の厳しさでしたが、そんな空気もどこか冷静に見ていました。
この研修でも同期104名中1位の実績を出し表彰されたことが自分のプライドを守ってしまったのです。

そうして社会人としてスタートをし、多くの同期と切磋琢磨しながら順調に実績をあげ4年間で4店舗を経験し、店長になるべく本店研修に臨むかという時期に差し掛かった時、当時の店長陣に「将来の自分」が描けませんでした。

当時の職場環境は休みは月3日程度、販売業なのでゴールデンウィークや年末年始など世間が休みの時は当たり前に仕事です。
1度高熱を出したまま出勤して店頭で倒れたこともありました。

そんな状況もあり販売という「待ちの営業」から、「攻めの営業」である営業職への転職を希望したのもこの時でした。

レールから外れて見た「どん底」

幼少期から培われてきた「自信」。一部上場企業で得たある程度の「実績」。
自分はどこへ行ってもやっていける。そんな自信しかありませんでした。

それくらいにガチガチに「プライド」が出来上がってしまっていたんです。
しかしこの時はそれが自分を追い詰める「諸刃の剣」になるとは知る由もありませんでした。

「自分の軸」を持たないままの初転職

そんな自信とプライドで固められた状態の私は、土日祝が休みで賞与があればなんでもいいと「自分の軸」を持たずに初めての転職をしました。
上場企業出身で初転職ですから内定も得やすい状態だったんですね。

そうして転職した企業では「新規開拓専門の部署」に配属され、飛び込み営業とテレアポの日々が始まりました。
最初にうちはアポが取れたことなどがモチベーションに繋がっていましたが、なかなか初成果が出なかったんです。

そう、販売職は「日々の売上と戦う」のに対して、営業職は「長いスパンで継続的に売上を作る」ということを理解しておらず、「時間軸の違い」に耐えられなくなり始めていました。

そんなギャップに遅まきながら気づき始めた頃、同期で入社した2つ下の女性が先に初売上をあげました。

努力ではどうにもできない「絶望感」

これまでなんでも器用に人並み以上にこなしてきた自分。
初めて先にポイントを奪われる。そんな気分を味わいました。

その女性は普段から上司にタメ口で話す感じで、前職が体育会系の男社会だった私からしたら「あり得ない態度」だったことが私に火をつけました。

後から振り返ると火がついた場所は心ではなく「自分のお尻」だったわけです。

焦りから取る行動、もしものためにと隠れて始めた国家資格の勉強、結果的に全てが中途半端になっていきました。
生まれて初めて「努力でどうにもならない状況」を経験し1年が経過したある日「うつ病」と診断されました。

これがその後長く付き合い、今では私の「ストッパー兼ペースメーカー」となるのです。
これは決して無駄なことではなく20代でうつ病を経験したことは、後述する「2度目の挫折」から私を救います。

「勘違いの行動」から始まったエージェント人生

人生で初めての大きな挫折を味わい私はその会社を退職しました。
自分の軸を持たないままの転職だった上、前職の(上場企業の)看板がおろせない状態だったので当然の結果です。
自分を過信していたしっぺ返しがここで一気にやってきた感じですね

うつ病を発症してからの4日間、何もできず天井を見つめる日々。
悔しさや情けなさ、いろんな感情が交錯しました。

メーカーだと思った会社がアウトソーシング業

こうしてうつ病をパートナーに迎え再度行った転職では「もう一度アパレルで販売から本部社員を目指す」という軸で活動を始めました。
当時はまだ紙の媒体で探していてふと目に留まった企業には知っているブランドロゴが多数載っていたんです。

しかも「未経験から運営マネージャー募集」の文字。これはチャンスと応募をしました。
しかしまたしても大きな勘違いをしていたことに面接で気づきました。

この会社はいわゆる「アパレルメーカー」でなく、人材派遣や人材紹介、そして店舗運営代行をする「アウトソーシング企業」だったのです。
面接で出てきた担当者の話す会社の展望と人柄に魅せられた私は入社を決意。

その後上司となるその担当者の方とは長く一緒に仕事をしました。

私のエージェント人生はこうして意図せず始まったんです。販売のプロ集団という感じで、ゴリゴリの人材企業ではなかったことが私にとても合っていました。

雇用問題という社会貢献への充実感

エージェントとして初めてのこの会社で、私はたくさんのことを経験させてもらいました。
営業はもちろん採用、急な欠員の時は経験を活かして販売でショップにも立ちました。

何よりアパレル業界とそこを志す人との「架け橋」になっていることが「雇用問題」という社会課題に微力ながら貢献している。
このことが私のモチベーションに変化していったのです。

プライドや実績の呪縛から解放された瞬間でした。
人の役に立つことが幸福度を高めるという研究結果もある通り、まさに充実度、幸福度ともに過去の挫折に感謝すらできるものと出会えたんです。

全てはあの「勘違いだけど行動したから」生まれた結果です。

入社3年目には関西支社の立ち上げに抜擢、常駐は私一人で行動全てが結果に反映されることに新鮮さを感じ、これが今の「独立脳」への変化に繋がりました。

すでに自分は会社員という枠すら越えた思考が持てている事を感じました。
この経験は今にも活きています。

しかし良い時もそう長くは続きません。

会社員の限界とフリーへの転身

長澤一智_記事画像

支社立ち上げから1年が経ち順調に軌道に乗った中、私は大阪市内での引っ越しを考えていました。
上司は月に2度東京本社から出張できていましたが、私が知らぬところで本社の経営陣が揉めていました。

詳細は省きますが結果的に社長vsその他の構図になり、上司は会社を離れることにしたと私にも一緒に行こうと言ってきました。
その時の私はその上司があっての自分だったので上司のツテのある会社に、希望するスタッフを連れて移籍。

そしてその先にいた上司の新卒時代の同期(その会社では専務)とも3年間仕事を一緒にしました。

するとまた社長と上司2人が対立、再度転籍を余儀なくされます。
ここで気づくべきでした。

結局専務である、上司の同期の独立についていく形になりました。
もう自分の意思が及ばぬところまで来ていました。

ここも詳細は省きますが結果は給与が遅れ始める→(前では専務だった)社長の失踪。
会社は空中分解です。裁判も経験しましたが手元には何も残りませんでした。

やっと掴んだものがまたしてもすり抜けていく。
でも2回目の挫折は1回目よりマシでした。うつ病がブレーキをかけていたからです。

この後、私は医療福祉業界の転職エージェントに転職し、介護・看護・薬剤師・治験関連・製薬関連の職種の方のサポートをしました。

ここで私の方向性を決定づけたのはトランスジェンダーの方や、心身のハンデを背負った方への「会社組織の差別的な対応」でした。

会社は営利団体ですから「決めやすい人」を確実に決めることを勧めます。
企業と人の架け橋になる反面、そういった方達を差別するような対応を取らなければならないことに強い拒否感を抱くようになりました。

そして私は経験をブログで発信し始め、今では会社員という枠から離れて、会社員ではサポートできなかった方達も専門特化型のエージェントを紹介することで「豊かな人生」を進んでもらうことをライフワークにすることを決めたのです。

これまでの経験で「サラリーマン脳」から「独立脳」へ変化していた私は「会社に依存しない自分作り」が軸に変わっていたことを、自社への登録者ではなく「日本中の転職に悩む方」の架け橋になることをこれからの「新たな軸」にすることに決め今に至ります。

自分の軸を持った行動で見た素晴らしい景色

かなり申し遅れましたが、私は今現在44歳です。
社会に出て20年の節目で2020年に会社員という働き方を卒業しました。

そこまでの社会人生活、かなり濃厚な経験をさせてもらったと振り返っています。

軸を持たずに失敗した初転職から、「人生の軸を探す20年」だったと思います。

多くの転職サイトでも軸を持ちましょうとは言われますが、私はその軸は「ハッキリしたものでなくてもいい」と思っています。
ガチガチに固めると過去の私のように身動きが取れなくなったり、動きを制限したり、選択肢を自ら減らすからです。

幸福度が高まる仕事は「人を気遣う」「人に影響を与える」「人を救う」職業だと言われています。

あなたなりの「他人への貢献」の道を見つけて「具体的な行動」を取ることを恐れないで欲しいと思います。

学校を卒業して定年まで40数年間、今は100年時代ですからもっと長くなるでしょう。
決して会社組織だけが選択肢じゃありません。

今は様々なプラットフォームを駆使して起業する人、フリーランスとして得意を仕事にする人、企業へ投資をする人。
色々な選択肢があります。

自分の軸を大切に、具体的な行動をとった先に「知らなかった自分」がいます。

これからの人生であなたが「軸となるもの」そして「行動の先に待つ新しい自分」に出会うことを心から応援しています。