好きな相手に『ブス』と言われ私は美容整形をした/yuzuka

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幼少期、好きな相手から『ブス』という言葉で心が死んだ

「これ、あげるよ」

今から15年以上前の3月14日。

私はまだ、ランドセルを背負っていた。

通学路の途中、大きなみかんの木の前。

みんなが見ている中引き止められた私は、意中の彼から、小さな小袋を受け取った。

「バレンタインデーのお返しだよ!良かったね!」

仲の良かった親友が、ワクワクした声色で、耳打ちしてくる。

あ!そういえば、と、思った。

一ヶ月前の同じ日、私は彼に、手作りのチョコを渡した

小学校も高学年になれば、私たちは立派な「女の子」だった。

前日集まったいつものメンバーの中で一番キッチンの広い友達の家に行き、

私たちは共同で、それぞれが意中の男子にあげる本命チョコレート作りに励んだ。

「コクるの?」

「わからないけど、手紙は入れる」

今考えればただのマセガキ連中なのだが、私たちは確かにその時恋をしていて、そして多分それは、初恋だった。

ただでさえ多感なお年頃な上、小学生にとって「バレンタインデーをあげた」とか「バレンタインデーをもらった」なんてのは、フライデーでいえば表紙一面を飾るような大ニュースである。

手作りチョコレートに手紙なんて入れて渡そうものなら、きっと学校中の噂になる。

だけど私は噂をされることも冷やかされることも覚悟で、彼にチョコを作った。

「好きだった」という手紙を添えて。

これには少しだけ理由があって、私達は数ヶ月後に卒業を控えていたうえ、

クラスの中で私だけが中学受験をしたという経緯から、たったひとり地元から離れて、県外の学校に入学する予定だったのだ。

このタイミングを逃せば、一生この気持ちは伝えられないかもしれない。と、思った。

しかし1ヶ月後に事件は起きる

それだけ心を込めた本命チョコを渡してからちょうど一ヶ月たったその日。

私はその彼に呼び止められ、みんなの前で、小袋を渡されたのだ。

案の定注目の的になり、女子からは羨みのこもった甲高い悲鳴、男子からは雄叫びにも近い冷やかしの叫び声があがった。

私は恥ずかしくなって真っ赤な顔でうつむいたまま、「ありがとう」と言って、くるりと体の向きを変え、家まで走った。

「何もらったか電話してね!」親友が、大きな声で呼びかけてくる。

振り返ることができなかった。

みかんの木から家までは走って約5分。

みんなのざわめきから遠ざかりながら、心臓のドキドキと、頰に当たる風が、気持ちよかった。

家に帰ってその小袋をあけるまで、私の心臓は鳴り止まなかった。

もったいないような、でも早く開いてしまいたいような、そんななんともいえない甘酸っぱい気持ちに満たされながら、私はそっと、小袋を開けた。

そして、中に入っているものを見た途端、さっと血の気がひくのがわかった。

一ヶ月前に渡したチョコレートが腐って入っていた

私があの日、時間と愛情を込めて作ったチョコレートが、原型を失った形で腐っている。

そのチョコに寄り添う形で、私が渡した手紙とは別の便箋が、無造作に入れられていた。

恐る恐る開いたその紙の中には殴り書きで、「ブス」と書かれていた。

心臓が大きく脈打っていた。でもそれは、さっきまでのそれとは違う。

そのあとのことは、あまり覚えていない。だけどはっきり言えるのは、

その出来事が私に、自分はブスなのだと、強く自覚させるきっかけだった。

ブスにとって美容整形は心の治療

それから随分と時がたって、私は美容外科で、看護師として働いていた。

そこではメスを使って身体中を切り刻むオペが行われるが、切り刻まれる対象に、ひとりだって、「医学的に切り刻む理由のある患者さん」はいなかった。

病でもない、障がいでもない、いたって健康的であるはずの彼女達の皮膚に針を刺し、取り出す必要のない何かを取り出したり、時には異物を、入れ込んだりもする。

高いお金をかけなくたって、痛い思いをしなくたって、本当はなんの不自由もなく行きていけるはずの健康的な彼女達にメスを入れるなんて。

誤解を覚悟で言えば、その行為はやっぱり、異常だった。

人の体は全身麻酔をしても、痛みを感じるようにできている。

無意識の中で体がひどく拒絶して暴れることもあるので、私達は大きなオペをする時、いつも患者さんを手術台に縛り付けていた。

メスを入れるたび、脂肪吸引の管を差し込むたび、患者さんの体が、大きくはねあがる。(今考えれば麻酔医の腕が悪かった)

私はそんな患者さんを見つめながら、いつも「美容外科で働いたら最後。あそこで働く看護師は、本物の看護師じゃない。人生の汚点になるよ」という、看護師仲間の言葉を思い出していた。

彼女の言葉の奥に眠る気持ちは、安易に想像がつく。

医療行為ではないから。人の心に反する手術だから。本当は必要のない患者さんに、高額の施術を行うから。

そして多分、その理屈は、あながち間違ってはいない。

だけど私は、その言葉が心に浮かんでくるたび、同じ言葉で自分を言い聞かせていた。

「美容整形は、心の治療だ」と。

整形するまでブスという言葉に首を締め付けられる日々が続いた

誰も最初は、自分をブスだなんて思わない。

砂場でのいじわるとか、すれ違う人から聞こえた会話とか、どうでもいい誰かに言われた言葉とか、可愛い子の横で自分だけ受けたひどい扱いとか。

そういう経験を通して、だんだんだんだん自覚して、塞ぎ込んで行く。

「ああ、私はブスなんだ。」

 

その認識が、圧倒的に正しいかどうかはわからない。

容姿に恵まれなくても幸せになれる人はいるし、自分の他の長所を大切にして、魅力的だと認められている人だって、山ほどいる。

きっと容姿以外にも理由はある。容姿だけが全てではない。

だけど事実、美人は得をするし、美人な方が、生きやすい。

それがわかっているから、美人になりたいという欲求がいつも心に押し寄せ、私たちの首元を締め付ける。

もし美人だったら、あんな目には合わなかったのかもしれないという思いで息ができなくなる

美容整形は、そんな首元をほどく手段だと思っている。

美人になったからといって、幸せになれるとは限らない。

だけど美人になったことがきっかけで、幸せになれる確率は、うんと上昇する。

それは一種の「健康」だ。

自分の容姿へのコンプレックスにとらわれることなく思いっきり笑うことが、どれだけ人生を豊かにするだろうか。

それを「心の治療」といわずになんの呼ぶ。

ブスと言った人間は何も覚えていない

あの魔のバレンタインから10年くらいがたった頃、私のフェイスブックに、新着メッセージが届いた。

「覚えてる?久しぶりに会いたいなと思って笑」

 

私に「ブス」という手紙を渡した、彼だった。

今だに回復しない私の自尊心のことなんてつゆ知らず、きっとあの日のことは「若気の至り」だと笑い飛ばして、セックスでもしようと企んでいるのかもしれない。

言った側の認識なんて、そんなものだ。

ふざけるなよ、と呟いて、私は彼からのメッセージを、削除した。

一度削られた自尊心は、戻らない。

あの頃よりも綺麗になっても、ならなくても、傷ついた傷は消えずに残る。

ブスにとって整形は一つの救いの道

そして今、整形を公表したひとりの女の子に対して、「整形してもイマイチだ」とか、反対に「整形後なら抱ける」とか、そういう言葉を平気でつぶやく数多くの群衆を目の前にして、あの日新着メッセージを読んだ時と同じような感覚を抱いて、吐き気がしている。

砂場でいじわるを言ってきたあの子も、すれ違う時にブスだと嘲笑ったあの人も、

きっとそんなこと、覚えちゃいないだろう。

だけど言われた本人の心についた傷は、永遠に消えない。

その言葉は一見、発してすぐに消えてしまうけど、本当はナイフよりも鋭く、その人の心を、一突き、また一突きと滅多刺しにしていく。

その人の心を、その人自身を殺して行く。

誰もが自分を美しいと思える日へ

美容整形はズルでも娯楽でもなく、自分自身を苦しめてきたコンプレックスや、昔言われた言葉から解放される、彼女達にとっての唯一の手段なのだ。

彼女の選択を、彼女の勇気を、彼女の努力を、忍耐を。

半笑いで批評する奴らの方が、よっぽどブスで救いようがない。

顔の治療はできるが、ひんまがった根性の治療は、どこの病院に行ったってできない。

そして美容外科で働く看護師含む全てのスタッフは、彼女達にとって、一番最初の理解者でなければならない、と、思っている。

私が美容整形で働いていた時に心がけていたこと

さて、あんな経験があったからなのか、美容外科で働いていた頃、私が無意識に、心がけるようになっていたことがある。

それは、その人が新しい顔を手に入れて一番最初に「綺麗ですね」と声をかける看護師でいようということだった。

言葉は、残る。人を傷つけ、自尊心をえぐり、心を殺す。

だけど使い方を変えれば、その人を包む、暖かいガーゼのような言葉もまた、人の心に残る、と、私は信じてやまないのだ。

綺麗ですね

 

そして、何よりも泣いていても笑っていても、腫れていてもいなくても事実、一歩未来へ踏み出した彼女達は他の誰よりも美しい。

まとめ

「美容外科で働いたら最後。あそこで働く看護師は、本物の看護師じゃない。人生の汚点になるよ」

そんな言葉をかけられることもあったけれど、私の看護師時代は、美容外科ナースをしていた時も含め、納得できる、自分の美意識に基づいた、美しいものであったと思う。

そして看護師を辞めた今も、私はあの頃と同じ気持ちのまま、世界中の女の子たちが自分自身を「かわいい」と認めることのできる日が来ることを祈りながら、今日もまたそっと、言葉を綴っている。

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