小島アジコ×ジョブシフトの漫画記事|労働価値とは?

この記事の執筆者

小島アジコ
漫画家
代表作
となりの801ちゃん など
ブログ
orangestarの雑記

Twitter:https://twitter.com/ajico_k

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小島アジコのプロフィール

こんにちは。この漫画を描いた、小島アジコといいます。普段は漫画家をしています。 もともとサラリーマンをしていたのですが、過度な業務によって身体とメンタルを壊して普通に働けなくなったので、漫画を描いて生活をするようになりました。

さらっと書いてますが、実際、身体を壊してから、なんとか動けるようになるまでは本当に大変な日々でした。かなり長い間、寝たきりのようになっていました。

考えてみれば、本当にぶっ壊れる前に、いろいろと予兆が出ていたので、その時にそれに気づいて、然るべき対応を取っていれば、あんなことにはならなかったと思います。 ここに描いた漫画は、もちろんフィクションで、実際にはこのようなことはないと思いますが、広い世の中ですので、似たような状況になっているブラックな職場というものはどこかにあると思います。

労働価値とは?

ブラックな企業、職場、会社で働いていると、自分がひどい目にあっているから、周りの人間、下請けや取引先の相手にも同じように接してかまわない、というような感覚になっていくことってあるんじゃないでしょうか。

それは弱さではなくて、適応だと思うんですけれども、でも、そういう場所に適応してもいいことがありません。そうなる前に、自分のおかれている状態に気づいて、なにか手を打てるようにするのが大切だと思います。

頑張ることは大切ですけれども、頑張るっていうことは、ただただ時間をかけて働くということではなくて、効率よく動く、動けるためにどうすればいいかを考える、ということだと思います。

一般的に“頑張り”だと思われているのには2種類あって、ひとつは、自分の意志で、自分自身が想像できる目標に向かって力を尽くすこと。もうひとつは、上司や、周りからの要求に身を削って具体的な展望もなくただただなんとか応えていくこと。

ひとつ目の“頑張り”はだんだんと仕事を楽にしていきますけれども、ふたつ目の“頑張り”は楽になることがあまりなくて、逆に“今までできていたんだからもっと大丈夫だろう”というように負荷が高まっていくことが多いです。ふたつ目の“頑張り”は実は“頑張っている”のではなく、ただただ“苦痛を受けてそれに我慢している”だけです。

ひとつ目も“頑張り”も、ふたつ目の“頑張り”も、身体には同じように負荷がかかります。だからひとくくりに“頑張ってる”って言ってしまいますけれども、実際は別のものだと思うんです。(実体験から!) ダニエルギルバートの「明日の幸せを科学する」という本に、コントロールする能力についてこのように書いています。

『人間はコントロールへの情熱を持ってこの世に生まれ、持ったままこの世から去っていく。生まれてから去るまでの間にコントロールする能力を失うと、惨めな気分になり、途方に暮れ、絶望し、陰鬱になることがわかっている。死んでしまうことさえある。』 言われるがまま、キツい仕事に従事している状態は、このコントロールする能力を失った状態なのだと思います。

意味のある頑張りはいつか実を結びますけれども、果てのない我慢は何も生まないんじゃないでしょうか。 すごく当たり前のことなんですけれども、死ぬほど働いていたら、死にます。働いている人は奴隷ではないので、報酬とは釣り合わないような仕事や、仕事とは言えないようなことを要求されたらどこかで断る勇気が必要なのかもしれません。

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